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About

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Philosophy
Je suis artisane d’art en linge Basque. Mon mari a vécu au Pays Basque il y a 30 ans. C'est notre endroit préféré. Nous sommes japonais. Nous habitons aux Pays-Bas maintenant.


夫が単身バイヨンヌに住んでから30年の月日が流れ、後に自分もフランスバスクとの縁を持ち、今バスクの地での懐かしい時間に思いを馳せています。オランダに住むようになってからバスクで過ごす時間も増え、懐かしい友人知人との再会や懐かしい場所にも足を運びます。大切にしまっていた記憶を一つ一つ引き出しから出すように。
 
 
1996-2000
夫がフランスバスクで生活を始めたのがサッカーW杯フランス大会の年。バイヨンヌ出身のディディエ-クロード-デシャンDidier Claude Deschampsが代表選手で(現在は誰もが知るフランス代表監督)フランスが優勝。当時地元バイヨンヌは盛り上がり強く記憶に残っているという。
 
夫はフランスの田舎に住むことになってものんびり楽しくではなく残念ながら仕事で多忙な日々。フランス語も難しいビジネス用語ばかり覚える始末。バスクは都会パリとは違う地方の田舎。職場で英語を話せるフランス人などいない。赴任して1年半フランス語がわからない中で仕事に追われ、絞り出すようにフランス語の勉強にも時間を割きながら、振り返れば辛苦の記憶の方が多いという。単身で言葉の壁を感じ、十分な孤独感も味わった。

週末そんな多忙な毎日から離れ、ひとりビアリッツのカフェで過ごす時間。のんびり心地いいバスクの風を感じながら、話せるようになったフランス語でお店の人と言葉を交わす。自分の辛さ寂しさなど知る由もない。言葉を交わすことができた嬉しさと楽しさと小さな癒しを与えてくれた。

こんな癒された気持ちの小さな積み重ねが、彼のフランスに,フランスバスクに対するもっと味わってみたいと思える深い興味の気持ちに至る原動力となっていったんだと思う。

段々とフランス語も話せるようになると、日々の生活も楽しめるようにもなった。と思った矢先にバスクの地を離れることになった。

「言葉で人と通ずることができれば分かり合えることが増える。みんな人間なんだから。」と彼は言う。元々好きで住んだ訳でもなく何も知らずに来ることになったフランスバスクとの縁。フランス語が喋れるようになったこと、そしてもっとフランス語で人と交流できたらとここでの生活への関心と楽しみが彼の心の中で膨らむ。

苦労したから思いも深く、真に好きになっていく過程。まだまだ今は興味の段階。「ようやく好きになって来たかなぁ?!」と20年,30年も経った最近になって言っていたくらい。

「せっかくこれから楽しめるかなぁと思っていたのにバスクを離れることになった時は本当に残念だったよ~」と。私の中で印象に残っている言葉の一つだ。後に自分も続きを味わうという船に同乗することになった訳だが 笑。いつかフランスバスクで普通の暮らしを味わってみたいとの思いを抱き、夫は一旦バスクの地を離れ、日本に帰国することになる。
 
 
2003-2004
私は日本に戻った夫と結婚。自分もフランスバスクとの縁を持つことになり、東京から毎年バスクを訪れ、私は新しいものに触れ興味を深めていく。夫は住んでいた時の記憶と繋ぎ合わせるように続きを始める。この頃はバスクで日本人を見かけることは滅多に無かったのが印象的だ。友人から'それどこ?バス?!で行くの?'と話が噛み合わない 笑。今となっては懐かしさしかない。

 
2008-2009
米国に生活の拠点が移ると普段は米国国内あちこち旅して、年一で米国からの海外旅行と決めてバスクを訪れていた頃。大西洋回りで欧州に来やすかった記憶がある。


 

昔の写真を見ると友人のBrunoも若い。本当に懐かしい。30年経ってもずっと何も変わっていないお店もあって、懐かしく今でも寄らせてもらう。メニューも変わっていない。スタッフも皆同じように齢を重ねて変わらず続けてくれていることが嬉しかったり。懐かしさもあってか「最初(お前は)全然フランス語喋れなくてさぁ。本当に上手くなったよなぁ~。」と夫は褒められる。懐かし話ついでにそんな話を聞くことができた私は心から嬉しかったり。そんな私たちの思い入れのあるお店での記憶は一つ一つ'思い出の引き出し'に収まることになる。
 
 
夫は単身海外赴任で旅では味わえないフランスバスクの素の魅力を知り、いつかまた続きを味わいたいと。夫と結婚後自分もフランスバスクに縁を持つことになり、その夫の思いを載せた船に同乗。バスクの伝統工芸の一つでもあるバスク織。「バスク織で日仏繋ぐ工芸作家」としても縁を紡いでいきたい。

自身の制作手法は元はカルトナージュ由来になります。ハンドクラフトの域を出ないカルトナージュのイメージ、自身の創作活動を通して自身の作品をアート(手工芸術)の域まで持って行き、新しい独自創作の世界を構築したいという強い思いがあります。バスク織で日仏繋ぐ工芸作家」として制作に向かうようになった現在、カルトナージュという言葉は外しカルトナージュの領域とは一線を画していきます。

縁とは最初は1本の糸、何度も交流を重ねることで縁の糸が紡がれていく。紡ぐという行為は丁寧に思いを込めて行うこと。紡がれた縁はそれだけ思いのこもった温かいものになる。そんなイメージから「縁を紡いでいく」という言葉を選びました。
夫婦二人でその「フランスバスクとの縁を紡ぐように」今その続きを続けているところです。
宮根 由美子 YUMiKO MiYANE



 
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